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飯倉 穣 エコノミスト |
1947年生まれ。経済地域研究所代表。東北大卒。日本開発銀行を経て、日本開発銀行設備投資研究所長、新都市熱供給兼新宿熱供給代表取締役社長、教育環境研究所代表取締役社長などを歴任。鹿児島市中心市街地活性化協議会会長、鹿児島商工会議所参与。著書に「石油危機から30年」「あえて言わせてもらえば」「電力」など。 |
平成経済30年を考える~成長戦略:ベンチャー固執と見果てぬ夢 (2019/01/21) | |
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アベノミクス三本の矢の一角である成長戦略は、ベンチャー振興を標榜する。未来投資戦略は、イノベーションを生み出す大学改革と産学官連携・ベンチャー支援を強調する。目標にベンチャー企業へのVC投資額の対名目GDP比倍増とユニコーン(企業価値10億ドル以上・未上場ベンチャー企業)20社創出を掲げる。この政策に乗り、見直し必要な支援機関・産業革新機構(09年設立)の改組があった(2018年9月)。(株)産業革新投資機構(JIC:直接投資)と(株)INCJ(既存案件)に分割した。 JICは、投資人材を招き、民間資金も呼び込み、海外企業にも投資する。そして新規事業の創造の推進 、ユニコーンベンチャーの創出 、地方に眠る将来性ある技術の活用 、事業再編等の促進を狙う。業務範囲に首を傾げる。今回改組は、公的資金と民間の良さを取り込む従来の第三セクター的発想である。過去成功例は稀有である。 その後「官民ファンド高額報酬案 JIC年収1億円超も」(朝日18年11月3日)、「官民ファンドJIC 経産省、高額報酬認めず」(同12月4日)の報道で、JIC取締役9名辞任(12月28日)となった。官民当事者が公の論理を軽視した結末である。 振り返れば平成バブル生起・崩壊過程で政府は、ベンチャー等への資金供給円滑化(1995年)を行い、また小泉内閣骨太方針(01年)では、チャレンジャー支援プログラム(個人、企業の潜在力の発揮:ベンチャービジネス支援環境整備)を打ち上げた。平成を通じて手を変え品を変えベンチャー湧出模索が継続している。 そこに経済成長実現の思いが滲む。ベンチャー喚起政策(90年代以降)は、ベンチャーとベンチャーキャピタルに焦点を当てた。ベンチャー期待対象は、個人、小企業であった。ベンチャーキャピタルは、本来投資家、民間資金だが、不足として官がリスクマネー供給を図った。ほぼ同時期(91年)に、研究力強化のため博士課程の増員(2.5倍)があり、ポスドク1万人計画(96年)も実施された。その後新規技術・人材面で大学の潜在力にも期待をかけ、大学発ベンチャーの奨励(2001年)となった。日本の現実は、民間の動きは限定的で、いまだに官主導のシリコンバレー見学団が組成されている。 わが国でシリコンバレー実現困難の見方もある。シリコンバレーは、幾つかの複合要因で成立するハビッタト資本主義社会(小門裕幸法政大学名誉教授)である。小門氏は、西洋倫理の精神基盤、行動ネットワーク、情報交換・コミュニケーション、判例法・投資文化・セラピ文化を柱とするゲームルールの上に、イノベーション、ビジネス社会が存在すると指摘する。その基盤は日本に欠如しており、わが国は別の道の模索が必要とする。 ベンチャーに係る今回の騒動は、不可能を可能にしたい官サイドの思惑と不可能を可能だと強弁する民間人の芝居のドタバタ劇であった。平成の総括として、ベンチャーにかかわる政策の目的、政策手段、政策実施機関、人材、公的資金の役割について再吟味が必要である。また政策の後遺症の処理を活かす検討もすべきである。 ベンチャー振興では、まずベンチャーを目指す人を増加させたい。知的集団であるポスドクの挑戦を喚起する。ポスドクは、1万5千人に達している。その現実は不安定な雇用契約の下にある。多くはアカデミック志向である。知識層を不安定な立場におくことは人材資源の無駄使いである。彼らが起業・企業内起業も意識した活動が可能であれば、大きなイノベーションのプールとなる。安定した立場で挑戦できる環境を作るべきであろう。企業勤務にも志向を転換させるとともに、企業に新規分野拡充のため戦略的採用を奨励する方策も一つである。 また産業革新機構の業務を改編して、ポスドクの活用を図れる運営体制も取り込むべきである。一定の年収で雇用し、必要な分野の研究技術開発に従事してもらう。目的と課題を明確にし、大学、公的、企業研究所への派遣でも構わない。革新的な研究・技術開発で成果を上げることができれば、一歩前進である。勿論相応の資金手当ては必要である。平成初めの米国教科書にあったようにMarket oriented capitalism で成功した米国と違い、State Planned capitalismの日本の方向を今一度精査したい。 |
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